ある人の前に立つと、理由もなく息が浅くなる。特定の言葉を聞くと、身体がこわばる。頑張ろうとすると、なぜか肩に力が入る。
これらは、頭で考えて起きていることではありません。過去のある場面で、身体がとっさに覚えた反応が、似た状況でそのまま再生されているのです。
身体は、出来事の「内容」ではなく、その時の「感覚」を記憶します。だからこそ、忘れたはずの出来事でも、身体はまだ、その感覚を覚えていることがあります。
Chapter 2で見たパターンは、頭の中だけで起きているのではありません。
それは、身体の奥深く ── 自律神経という、生命の基盤そのものに刻まれています。だからこそ、「わかっているのに、変えられない」ということが起こります。理解だけでは届かない場所に、パターンは眠っているからです。
ここからは、その場所に光を向けていきます。そして、Soul Living™が「身体」という領域を、単なる肉体としてではなく、生命そのものを宿す器 ──「體」として見ていることについても、お伝えします。
ある人の前に立つと、理由もなく息が浅くなる。特定の言葉を聞くと、身体がこわばる。頑張ろうとすると、なぜか肩に力が入る。
これらは、頭で考えて起きていることではありません。過去のある場面で、身体がとっさに覚えた反応が、似た状況でそのまま再生されているのです。
身体は、出来事の「内容」ではなく、その時の「感覚」を記憶します。だからこそ、忘れたはずの出来事でも、身体はまだ、その感覚を覚えていることがあります。
Chapter 1で少し触れたように、自律神経には、交感神経・腹側迷走神経・背側迷走神経という、3つの働きがあります(ポリヴェーガル理論)。
この3つは、状況に応じて生命を守るために切り替わる、いわば「安全のはしご」です。
Chapter 2で見たパターンの多くは、この3つのどこかに、長くとどまり続けていることから生まれます。常に警戒している状態も、常に閉じている状態も、その人が弱いからではなく、かつて生命を守るために必要だった働きが、今も続いているだけなのです。
「解放」と聞くと、強く手放す、無理に乗り越える、といったイメージを持たれることがあります。けれども、身体にとっての解放は、もっと静かなものです。
それは、途中で止まってしまった働きを、身体が安心の中で最後まで完了させること。川の途中でせき止められていた水が、再びゆっくりと流れ出していくような感覚です。
力ずくで進めるものではなく、安全であるという感覚があって、初めて起こっていきます。
ここまで「身体」という言葉を使ってきましたが、Soul Living™では、もうひとつの文字 ──「體」を、意図的に使い分けています。どちらも「からだ」と読みますが、漢字が持つ世界観には、違いがあります。
「體」は「体」の旧字体で、骨と豊という字から成ります。単なる肉体というよりも、骨格を持ち、全体として形を成しているもの ── というニュアンスです。古くは、からだそのものだけでなく、全体・本体・実体・本質的な形・あり方、といった意味でも使われてきました。
思想的・東洋的な文脈では、「體」は肉体だけではなく、その人の存在全体を受け止める器として捉えることができます。
Soul Living™が大切にしている「身体・心・意識・魂をひとつに還していく」という世界観において、「體」という文字は、からだを単なる肉体としてではなく、生命そのものを宿す器として捉えることを示しています。
身体に記憶されたパターンに氣づき、自律神経という生命の基盤に光を向けていくこと。それは、からだを「直すべきもの」としてではなく、「還っていく場所」として見つめ直すことでもあります。
「魂」は、私という存在の本質でした。けれど、その奥には、もうひとつ深い層があります。古くから「靈(れい)」と呼ばれてきた、生命そのものの根源です。
魂が「私の本質」だとすれば、靈は「生命の本質」。個人を超えて、すべての生命に共通して流れている、目に見えない力です。
身体は、覚えている。
そして、體は、
いつもあなたを迎え入れている。